いとまのはなし。

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自分らしさについて

みんなから理解されようして、みんなと同じ事をしてきた。そうしてるうちに、自分らしさを大切にしたくなった。

だけど、自分らしさとは、皮肉なことに、頑張って隠してきた、他人に理解されにくい自分の感情や直感のことだった。

 

 

長くなったので、要約から入ります。

  • 今は「分かりやすさ」が求められる時代である。
  • 逆にいうと、「分かりにくさ」が拒絶される時代である。
  • 「分かりやすさ」の追求は、「みんなが同じになること」の追求である。(社会の同質性や標準化の追求)
  • みんなが同じになろうとするのと同時に「自分らしさ」の欲求が強まっている。(同質性の高まりと標準化の進展とともに、自分らしさの欲求が強まる)
  • みんなが求めている、「自分らしさ」とは、皮肉なことにみんなが嫌いな「分かりにくさ」のことである。

 

 

自己肯定感を高めるには、他人からの承認欲求が満たされる必要があります。つまり、興味を持ってもらうことが必要です。

過激な動画を挙げるユーチューバーが人気なことを見れば分かるように、他人に興味を持ってもらうには、分かりやすいことが大切です。

 

「分かりやすいこと」とは、「誰にでも理解できること」だ、と言えると思います。ここでいう理解とは、偏差値とか頭の良し悪しじゃなくて、共感とか情緒的側面も含んだ意味を持つ、と思って下さい。

この「分かりやすさ」の要求が、ICTの発展とともに劇的に大きくなっているように感じます。

例えば、SNSサービスを例に挙げると、10年ほど前は手軽に他人の書いた「文章」を読むことが出来る、mixiを代表とするブログサービスが流行していました。しかし、5年も経つとより分かりやすい、140字以内の「つぶやき」を読むことが出来るTwitterが一斉を風靡するようになります。

最近では、「つぶやき」よりもより伝わりやすい、「画像・動画」で日常を他人に伝えるツール、つまりInstagramが人気を博しています。また、YouTubeでの個人の活動の人気も高まっていますよね。ごめん分かりにくく書いたユーチューバーのことです。

今は、「分かりやすさが強く求められる時代」で、逆に言うと「分かりにくいものは拒絶される時代」だと思います。

 

時代の移り変わりが早く、ひとつひとつの経験に時間が避けない現在において、ある意味、合理的な傾向であるとは思います。

 

ただ、分かりやすさとは、冒頭でも述べたように、誰もが理解できる程度です。

 

みんなに理解してもらおうと思うと、みんなと同じ事をするか、若しくは、過激な事をするのが一番です。

過激なことは、まあ法律とか倫理観とかがあるのでどこかで歯止めがかかるとは思うのですが「みんなが同じになること」は過激性とは違ってリミッターがありません。

 

つまり、分かりやすさの追求とは、「みんなが同じになること」の追求と同義だと思います。

 

この現象は、「こんなことYouTubeInstagramに没頭するようなロウワー階級の人間の話だろ、」と高みの見物を決めようとする自称高学歴の人間にも当てはまると思っています。

 

(ほとんどの)人が大学で身につける能力は、論理的思考力です。そして、そもそも、他人に物事を正確に伝えるための手法が論理です。

つまり論理的な人であればあるほど、他人に理解されやすい、分かりやすい人でもあるのです。

論理的思考力、ロジカルシンキングが、最近のビジネス書の流行り言葉であることも社会が「分かりやすさ」を求めている事を端的に表していると思います。

 

このように今は、「分かりやすさ」が追求されている時代です。

分かりやすさの追求が進むにつれて、皮肉なことに、それに抗って人々が追い求めらようになっているのが「自分らしさ」です。

 

「分かりやすさ」を追求すると「誰もが同じ」になることは、先に述べた通りです。

言い換えると「分かりにくいこと」は「他の誰とも違うこと」である可能性が高いということです。

「他の誰とも違うこと」つまり「自分らしさ」とは「分かりにくいこと」です。

 

 

直感であったり、感覚であったりのような、他人には容易に理解できないことが、自分らしさだと思います。

 

みんなから理解されようして、みんなと同じ事をしてきた。そうしてるうちに、自分らしさを大切にしたくなった。

でも、自分らしさとは、皮肉なことに、頑張って隠してきた、他人に理解されにくい自分の感情や直感のことだった。